http://dan21.livedoor.biz/archives/2007-09.html#20070918

人々は、なぜこうまで有用性や合理性にこだわるのでしょうか。意味のあること、役に立つこと、価値のあることを金科玉条のごとく死守する私たち。まるで取り憑かれたように理性を最大限発揮し、知力も体力も、そして感性までもすり減らしながら意味生産のレールをひたすら走り続けます。そして、意味がない、役に立たない、価値がないものに対しては、容赦なく切り捨てる。無意味であることは、それだけで悪であるような空気すら世の中には漂っています。しかし、本当にそうでしょうか。有用でないもの、役に立たないものは、本当に無意味なのでしょうか。
現代人のこの有用性、合理性への信仰(!)は言い換えれば「意味の病い」です。意味の病い、それは知、理性への隷属であり、本源的な意味での生きる自由からの退却です。今こそ、無意味を志向することの自由、無意味なるものの意味を考え直す時ではないでしょうか

サラリーマンの習性で、きちんと朝の七時ぐらいには目覚めるものの、二度寝ならず四度寝くらいまで惰眠を重ねる、気がつくと昼の12時。何か作るのも面倒なので、適当に着替え、近所の定食屋へ。ニコニコ動画を見ていたら、気がつけば深夜2時。今日一日を振り返り、無意味を志向しすぎた、と反省。明日は真面目に生きる。
そんなこんなで、ブログを改変。はてなを気に入っているので、引き続きはてなにお世話になる。ただ、新しい感が欲しかったので、過去ログを削除(コメントやトラバをくれた方々申しわけない。記録はしています。また、実は、過去の文章を全て書籍化してみました。wktk)。
今までと何が変わるのか。特に何が変わるということもなく、平素どおりのものに。しかし、先生→男爵→伯爵→公爵と、四年間ブログを書き続けてずいぶん遠くまで来たものである。